第3回:親が車を運転できなくなったら?和歌山で考える高齢の親の移動手段

【親と暮らす|第3回】

和歌山で暮らしていると、車の便利さを実感します。

スーパーへ行く。

病院へ行く。

ちょっと郊外へ食事に行く。

海や山へ出かける。

車があれば、行動範囲はぐっと広がります。

ところが、親とのこれからを考え始めると、この便利さが少し違って見えてきます。

「親は、いつまで車を運転できるだろう?」

そしてもうひとつ。

「運転できなくなったあと、どうやって暮らすんだろう?」

これは車での生活が中心になりやすい地域だからこそ、早めに考えておきたい問題です。


「まだ運転できる」が一番難しい

親に、

「そろそろ運転をやめたら?」

と言う。

これは、なかなか難しい話です。

親からすれば、

「まだ大丈夫」

「近所しか運転していない」

「昼間しか乗らない」

「車がなかったら買い物にも行けない」

と言いたくなるでしょう。

その気持ちも分かります。

車を手放すということは、単に移動手段を一つ失うだけではありません。

自分で好きなときに買い物へ行く。

病院へ行く。

友人に会う。

好きな場所へ出かける。

そうした**「自分で動ける自由」**を失うことにもつながります。

だから、免許返納の話だけを先にしても、なかなか進まないのだと思います。


本当に考えるべきなのは「返納後」

大切なのは、

「いつ免許を返す?」

ではなく、

「車がなくなったあと、どう暮らす?」

を先に考えることではないでしょうか。

例えば、親が週に何回車を使っているのかを書き出してみます。

月曜日はスーパー。

火曜日は病院。

木曜日は友人と喫茶店。

金曜日はドラッグストア。

日曜日は少し離れた店へ買い物。

こうしてみると、車が何のために必要なのかが見えてきます。

すると、

スーパーは歩いて行ける。

病院はバスでも行ける。

重い買い物は家族が週末に一緒に行く。

薬は近くの薬局を利用する。

必要なときだけタクシーを使う。

そんなふうに、一つずつ代わりの方法を考えられます。


「子どもが送ればいい」は続くだろうか

親の運転が心配になったとき、

「もう車に乗らなくていいよ。私が送るから」

と言いたくなります。

最初はそれでいいかもしれません。

でも、これが毎週、何年も続くとしたらどうでしょう。

病院。

買い物。

美容院。

銀行。

役所。

友人との約束。

そのたびに、

「○日に車を出して」

となると、子ども側にも負担がかかります。

仕事をしていれば、なおさらです。

親も、

「また頼まないといけない」

と遠慮するようになるかもしれません。

だから私は、

家族の送迎だけに頼らない仕組みを作っておくこと

が大切だと思います。


バス停まで「歩けるか」が重要になる

若いころなら、

「バス停まで徒歩10分」

をそれほど遠いとは感じません。

でも、80代になったらどうでしょう。

夏の暑い日。

冬の寒い日。

雨の日。

荷物を持っている日。

足腰が弱ってきたとき。

同じ徒歩10分でも、意味がまったく違ってきます。

住まいを考えるとき、

「バスが走っているから大丈夫」

だけではなく、

自宅からバス停まで実際に歩けるのか

まで見ておく必要があります。

そして、バス停に着いたあとも重要です。

そのバスで、

スーパーへ行けるのか。

病院へ行けるのか。

駅へ行けるのか。

乗り換えは必要なのか。

ここまで見て、初めて「車なしでも暮らせるか」が見えてきます。


病院への通いやすさは、年齢とともに重要になる

親との住まいを考えるとき、私は病院との距離もかなり重要だと思います。

元気なうちは、

「病院なんて月に1回だから」

と思うかもしれません。

ところが年齢を重ねると、

内科。

整形外科。

眼科。

歯科。

検査。

薬局。

と、医療機関へ行く機会が増えることがあります。

一つの病院だけとは限りません。

だから、

「今通っている病院に近いか」だけではなく、「将来いろいろな医療機関へ通いやすいか」

という視点も持っておきたいところです。


スーパーが近いことは、想像以上に大切

もうひとつ重要なのが買い物です。

若いうちは、

「週末に車でまとめ買いすればいい」

で済みます。

でも、高齢になると事情が変わります。

牛乳。

野菜。

パン。

お惣菜。

ちょっとした日用品。

毎日の生活には、少量の買い物が結構あります。

そして買い物は、食べ物を手に入れるだけではありません。

外へ出る。

歩く。

人と会う。

店員さんと話す。

季節を感じる。

そんな役割もあります。

親が自分で買い物へ行ける環境は、生活の自立を長く保つことにもつながります。


タクシーは「ぜいたく」なのか

車を手放したあと、

「タクシーなんて高いから」

と言う人もいます。

確かに毎日使えば負担になります。

でも少し考え方を変えてみます。

車を持っていれば、

車両代。

ガソリン代。

自動車税。

任意保険。

車検。

タイヤ。

メンテナンス。

駐車場代が必要な場合もあります。

こうした費用がかかります。

車を手放して、その一部をタクシー代に使う。

そんな考え方もできます。

「タクシーは高い」と最初から除外するのではなく、

車を維持する年間費用と比較してみる。

これは一度やってみてもいいと思います。


宅配やネットスーパーも「移動手段」のひとつ

今後は、本人が移動する方法だけを考える必要もありません。

食品や日用品を届けてもらう。

ネットスーパーを使う。

家族がまとめて注文する。

薬についても、状況に応じて薬剤師が自宅を訪問する仕組みがあります。

つまり、

「人が店へ行く」だけでなく、「必要なものに来てもらう」

という発想です。

スマートフォンの操作が苦手な親なら、最初は子どもが一緒に注文してもいいでしょう。

こうした方法を少しずつ使えるようにしておくことも、車のない生活への準備になります。


だから「元気なうちの住み替え」も選択肢になる

ここまで考えていくと、一つの問題にぶつかります。

今住んでいる家が、

スーパーまで遠い。

病院まで遠い。

バス停まで遠い。

駅にも遠い。

そして車がないと、ほとんど生活できない。

そういう場所だったらどうするのか。

家族がずっと送迎する方法もあります。

さまざまなサービスを組み合わせる方法もあります。

でも場合によっては、

親が元気なうちに、もう少し生活しやすい場所へ住み替える

という選択肢もあります。

これは、介護が必要になってからでは大変です。

荷物を整理する。

新しい地域を覚える。

新しいスーパーを探す。

新しい病院を探す。

近所との関係を作る。

こうしたことは、元気なうちのほうがやりやすい。

「まだ元気だから引っ越す必要はない」

ではなく、

「元気だからこそ、引っ越せる」

という考え方もあるのだと思います。


そして、これは私たち自身の問題でもある

親の運転について考えていると、ふと気づきます。

これは親だけの問題ではありません。

今50代の私たちも、いつか車を手放します。

今は、

「車で10分だから便利」

と思って選んだ家が、

20年後には、

「歩いて行けるところに何もない」

という家になるかもしれません。

親の暮らしを考えることは、

20年後の自分たちの暮らしを考えることでもあります。

和歌山でどこに住むか。

家の広さや価格だけでなく、

「車がなくても暮らせるか」

という視点を加えてみる。

50代からの住まい選びでは、かなり大切なことだと思います。


今回のまとめ

親の運転が心配になったとき、

「免許を返して」

だけでは、なかなか話は進みません。

先に考えたいのは、

「車がなくなったあとも、今の生活を続けられるか」

ということです。

買い物。

通院。

薬局。

友人との付き合い。

ちょっとした外出。

それぞれについて、

徒歩。

バス。

タクシー。

家族の送迎。

宅配。

さまざまな方法を組み合わせてみる。

それでも難しければ、住む場所そのものを考える。

親が元気な今だからこそ、選択肢があります。

そしていつか、私たち自身にも同じ日はやってきます。

親の「車のない暮らし」を考えることは、実は自分たちの老後の暮らしを考える、いいきっかけなのかもしれません。

次回は、親との暮らしで避けて通れないもう一つのテーマ、

「親の通院、誰が付き添う?仕事をしながら支える現実」

について考えてみたいと思います。

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